三河内焼白磁の美




三川内焼の名工 陽山中里末太郎


三川内焼「薄手白磁」の技術保存者として,県の指定を受けられていた中里末太郎
(陽山)氏が亡くなられた。明治30年(1897)に三川内焼の陶家に生まれた氏
は,94歳の生涯を終えられるまで,常に一貫した信念に基づいて美の追及を行ってこ
られた。それはまさに戦前から戦後の混乱期を経て,今日まで歩んできた三川内焼の歴
史を,じかに体験されてきた生き証人であったということができる。もともと三川内焼
は,
江戸時代にあっては平戸藩の御用窯として栄え,特に純白な磁肌に格調高い陶画を
施した染め付けや繊細な細工物を得意としてきた。これらの優れた技術も,明治時代
になってから一時期衰退したことがあったが,県三川内意匠伝習所を設立するなどして
伝統の技術を守りぬいてきた。このような中で,大正3年(1914年)佐賀県立有田
工業学校陶画科を卒業した中里氏は,17歳の若さで伝習所教師として活躍しているこ
とは,並々ならぬ技量をもっていたことを如実に示している。また今次の大戦下に
あっては,国家総動員法に基づいて奢侈(しゃし)品の製造・販売に制限が加えられた
折にも,国の伝統文化財製作技術保存者の認定を受けて特別製作に専従し,戦後の混乱
期には三川内工業組合理事長,東彼折尾瀬村会議員として三川内焼の発展に尽力されて
きた。作品には天保8年(1837)に三川内陶工池田安次郎が初めて考案した薄手
白磁がある。これはうつわの厚みが卵の殻のように薄いところがら,別に「卵殻手
(らんかくで)」の名で呼ばれたものである。中里氏はこの技法に加えて山水絵や花文
の彫りを施している。その彫りの線は深く,うつわを破らない紙一重のところで止まっ
ているという名人芸である。しかし中里氏が最も得意としたものはやはり伝統的な染付
絵で,なかでも桃やブドウなど四季の移り変わりを確かな筆致でとらえた作品は,常に
郷土の文化に誇りをもって生きぬいてきた風格がある。昨年,地域文化の功労者として
文部大臣の表彰を受けられた。氏の業績からは遅きの感であったが,今後の三川内焼
発展の礎になれば救われるところである。


※本稿は平成3年7月31日の長崎新聞より転載したものである。

(県立美術博物館学芸課長)

 中里末太郎年譜

1897(明治30)中里森三郎の三男として,長崎県東彼杵郡折尾瀬村に生まれる
1914(大正3) 佐賀県有田工業学校陶画科(4学年制)を卒業する
          長崎県三川内意匠伝習所の教師となる(翌年伝習所閉鎖のため退
           職)肥前陶業,有田タイル,尼ケ崎ユニオン硝子,京都陶画研究
          所等で修業し,京都時代に労働運動に参加する
1924(大正13)父の懇望により,帰郷して実家の製陶業に協力する
1926(大正15)宮内省より貞明皇后御料茶碗の製作を拝命し,私絵付する
1927(昭和2) 昭和天皇即位宮内省より大礼御饗宴用食器の製作を拝命し,
          絵付を担当する
1928(昭和3) 陽山窯が宮内省御用達を拝命する(昭和20年迄)
1943(昭和18)全国技術保存資格者に認定される
1944(昭和19)全国甲種技術保存資格者に認定され,中央委員となる
    (昭和20年迄)
1945 (昭和20)社団法人日本美術工芸会第5部委員に推薦される
1946(昭和21)陽山窯は独立輸出業に転じ,生産体制を整え始める
1947(昭和22)物価庁より全国芸術陶磁器認定委員に推薦され,地方実施委員
          を兼務する陽山窯がアメリカの企業と輸出を開始する陽山白磁
          株式会社を設立し,社長に就任する(資本金250万円)
1948(昭和23)三川内陶磁器工業協同組合理事長に就任する(昭和24年迄)
1949(昭和24)折尾瀬村村会議員となる(昭和30年迄)全国芸術陶磁器認定
          委員会第2部資格者に登録される長崎県知事より県立三川内美術
          工芸陶磁器研究所の運営委員を委嘱され,委員長に就任する
          アメリカ経済界の大暴落により輸出損害を蒙り,一時休業する
         (損害額720万円)
1951(昭和26)負債のため輸出を断念し,国内向けに転向する
1954(昭和29)文部省依頼の三川内焼無形文化財指定に関する調査書を作成
          ・提出する
1961(昭和36)光風会展に「錦手梅花花瓶」入選する陽山白磁有限会社顧問と
          なる
1972(昭和47)長崎県陶芸協会を設立し,会長に就任する日本工芸会西部支部
          会展に「薄手白磁菓子鉢」入選するヨーロッパ視察旅行
1973(昭和48)佐世保市無形文化財保持者に指定される(薄手白磁並びに
          製造技術)韓国視察旅行
1974(昭和49)長崎県無形文化財保持者に指定される(薄手白磁製造技術)
          財団法人産業教育振興中央会より表彰を受ける
1986(昭和61)長崎新聞文化賞を受賞する
1989(平成1) 長崎県民賞を受賞する
1990(平成2) 文部大臣より地域文化功労者として表彰を受ける
1991(平成3) 永眠する

                                 下川達彌


                                   
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