三河内焼白磁の美


 三川内焼年譜

1593 (文禄2)  名古屋城での秀吉の茶席に平戸道可の名がある「ー,水指は平戸道可ヨリ
             参ワ候也唐也膏薬カカル芋頭ナリ毒直 正月17日日記
1594 (慶長3)  藩主鎮信が朝鮮から陶工を連れ帰り領内に開窯
1622 (元和8)  高麗騎,一子茂右衛門を連れて,鬼子嶽崩れの陶工を頼り,長葉山に開窯
1629 (寛永6)  高麗騎(中里騎女),一種の灰色焼を創製
1633 (寛永10) 針尾三ツ岳で白磁鉱(網代石)発見,一説には寛永11年
1634 (寛永11) 中里騎女,朱泥の逸品を製する
1637 (寛永14) 巨関の子,今村三之丞,大村領井石郷中尾川内で陶土発見3月14日付
             三之丞福本弥次衛門へ招へい状を送る
1638 (寛永15) 藩主より「皿山棟染代官」の職を受ける磁器の製作を始める(高橋1911)
1643 (寛永20) 平戸藩三皿山(三川内,木原,江永)役所整備
1650 (慶安3)  平戸中野窯から領内の三川内地区へ,陶工の移転ほぼ完了
1668 (寛文8)  三川内御細工所を新設する(山口1975)
1672 (寛文12) 中里窮女,106歳で死去
1683 (天和3)  木原から横石長右衛門が江永に移る(九陶1988)
1688 (元禄1)  木原の丸田貞左衛門が広田に移り船をこしらえて,江戸,難波に木原焼を
             搬出する有田の小島某,江永へ移り製陶す
1692 (元禄5)  この年と元禄11年に江永庄屋横石長右衛門が窯燃料のため,平戸藩に 
             山林払い下げを願い出る
1699 (元禄12) 藩主鎮信,白磁三川内焼を金裡奉献
1702 (元禄15) 今村弥次兵衛が如猿の号を賜う
1712 (正徳2)  平戸皿山横石藤七兵衛,天草陶石を発見,別に寛文2年今村弥次兵衛
             発見説あり
1733 (享保18) 8月4日に6代目今村弥次兵衛正芳,25代藩主誠信に今村家取調書提出
1755 (宝暦7)  平戸領内の佐々一ノ瀬開窯
1771 (明和8)  平賀源内「陶器工夫書」に平戸焼を評す
1804 (文化1)  長崎に平戸焼物産会所をつくる
1830 (天保1)  平戸皿山製コーヒー碗(薄手兜形茶碗)の輸出始まる
1842 (天保13) 35代藩主熈が如猿の功績を讃え,子孫の今村槌太郎へ覚書を与える
1846 (弘化3)  木原山に網代土使用の許可窯焼石丸弥一右衛門,樋口屯一が代官宮 
             川淵荘兵衛に出願
1856 (安政3)  三ッ岳番所竣工御番宅建築係田中記太夫窯焼福本服右衛門
1862 (文久2)  中里平兵衛,須佐焼御用を拝命する(高橋1911)
1864 (元治1)  10月に中里庄之助が皿山代官拝命
1865 (慶応1)  古川又蔵が御用細工人に採用される金襴錦手の二度焼を金氏多三郎,
             田中数之助,今村豊壽,森利喜松が始める(高橋1911)福本榮太郎が
             平戸焼物産会所の一切の業務を担当し,貿易に従事する
1871 (明治4)  松浦家より古川運吉へ,平戸焼物産会所の一切の業務を譲渡する
             古川運吉は福本榮太郎と図り,満宝山商舗を開き,
             製品には「満宝山枝栄製」と記す
1874 (明治7)  豊嶋政治が古川運吉より平戸焼物産会所の一切の業務を受け継ぐ
             森宇三郎,内國博覧會に出品して受賞する
1877 (明治10) 6月に中里庄之助他一名が,パリ万国博覧会に自費出品を願い出る
1879 (明治12) 口石丈之助,対州陶土を発見する(高橋1911)
1880 (明治13) 藤本熊二,藤本源吉が磁器製碁石を製作する(高橋1911)
1881 (明治14) 京都府博物館の沿革等の調査に,三川内及び木原山の状況について回答
1885 (明治18) 今村兵作,上野共進會に出品して受賞する
1887 (明治20) 藤本熊二,藤本源吉が磁器製義歯を製作する(高橋1911)今村虎之助
             が「ボカシ」画その外に,蝋塗を使用する技法を発明する
1888 (明治21) 製陶会社(社長今村啓吉)を設置する
1890 (明治23) 天皇陛下佐世保御臨幸の折に,「太白鶏の置物」一対,今村鹿吉作の
             「唐子台の香炉」 田中佐十郎作「老松画花瓶」,椋尾寅四郎作「小形人形」
             森宇三郎作「錦付コーヒー具」買上となる口石丈之助作r菊桐御紋付二段
             香炉」を皇室へ献上する口石丈之助が東京上野博覧會に出品する
1894 (明治27) 長崎県磁器製造業組合(組合長古川又造)を組織する
1899 (明治32) 陶磁器意匠伝習所(練習科を陶画科,製型科とする)を開設する
1900 (明治33) 皇太子殿下御結婚大典に際して,中里巳馬太,今村克次郎作の「香炉」
             組合名義で花瓶を献納する謬中里森三郎,パリ万国博覧会に出品し
             受賞する
1901 (明治34) 平戸旧城御庭焼御用の折,今村猪吉が「素猿」の号を拝領する
1902 (明治35) 豊嶋政治らが合資会社を設立する
1904 (明治37) 里見政七,セントルイス万国博覧会に組合総代として出品し,金牌一等賞
             を受ける
1906 (明治39) 工業補修学校を創立し,陶画及び製型の徒弟を養成する英国皇族
             アーサーオフコンノート,佐世保御台臨の折に花瓶を献上する
1910 (明治43) 中里豊四郎,福本九市が福岡共進會に出品し受賞する大日本窯業協會
             の依頼で,三川内窯業沿革調査開始(翌年「三川内窯業沿革史」発行)
1911 (明治44) 森宇三郎,長崎県庁舎落成式の記念品である陶磁器の意匠考案を受け
             る長崎県庁舎備品として里見政七作「花瓶」を寄贈する旧藩主松浦厚より,
             中里巳午太が三猿の号を賜わる
1914 (大正3)  「長崎県大観」によれば,、この頃三川内焼の年産額は10億円である享
1918 (大正7)  村立工業補習学校を廃ゼ七,窯業徒弟養成所をつくる
1920 (大正9)  実業補習学校ができる
1926 (大正15) 実業補習学校を青年訓練所に改める
1930 (昭和5)  長崎県窯業指導所(波佐見)の折尾瀬分所が設立される
1932 (昭和7)  三川内陶磁器工業協同組合を設立する
1933 (昭和8)  青年訓練所を折尾瀬実業公民学校と改称する昭和10年に青年学校となる
1937 (昭和12) 村立窯業徒弟養成所を廃し,青年学校に新たに工業科を設ける
1938 (昭和13) 日本陶磁器工業組合連合会に入会する
1939 (昭和14) 肥前陶磁器工業組合連合会に入会する
1941 (昭和16) 三川内西窯が廃窯となる
1943 (昭和18) 波佐見工業組合と連合して,長崎県陶磁器統制組合を設立する
1947 (昭和22) 統制組合を解散して,長崎県三川内陶磁器工業協同組合に改名する
             長崎県美術工芸陶磁器研究所が設置される
1960 (昭和35) 中里時夫が「献上唐子焼」で長崎県無形文化財保持者となる葭の本窯跡
             が長崎県文化財指定となる
1970 (昭和45) 三川内陶磁器文化センターが完成する
1972 (昭和47) 中里仁太郎「ロクロ技術」で佐世保市無形文化財保持者となる
1973 (昭和48) 中里安吉郎「白磁菊細工技術」で佐世保市無形文化財保持者となる
1974 (昭和49〉 江永山古窯の発掘調査が行われる
1975 (昭和50) 横石嘉倍「木原刷毛目」,中里末太郎「薄手白磁成形焼成技術」で,
             長崎県無形文化財保持者となる福本数市「三川内焼透かし彫り技術」で
             佐世保市無形文化財保持者となる
1977 (昭和52) 三川内古窯跡群の緊急確認調査が行われる
1980 (昭和55) 佐世保市立三川内小学校に陶芸教室が完成する
1982 (昭和57) 三川内焼伝統産業会館が開館する葭の本窯跡の範囲確認調査が
            行われる
1986 (昭和61) 三川内焼陶祖祭と,はまぜん祭りが始まる
1988 (昭和63) 三川内焼の年産額は17億円となる
1989 (平成1)  佐世保市立三川内中学校に蛇窯ができる

                                          (1993.9.下川作成)
 
 
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